キャナルのレッスン控室

一生忘れない英語が身につく英語教室Canal Englishキャナルイングリッシュ

異文化交流の楽しさを教えてくれたのは

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こんにちは、高橋歓菜です。

岡山県玉野市で、子ども英語の先生をしています。

 

岡山の片田舎で生まれ育った、

純ニッポン人のわたしが、

なにがどうなって英語を話すようになって、

どうしてこんなにも一生懸命、

かつ幸せに、英語を教えているのか、

まずはしばらく、

お話にお付き合いいただけたら、と思います。

 

 

 

 

目次

  1. ルーツは妄想
  2. わたしの心をつかんで離さない言葉
  3. 異文化交流の楽しさを教えてくれたのは
  4. 新体操選手だったころ
  5. カナダでのわたし
  6. 新米講師のうぬぼれと葛藤
  7. 大手英語教室での苦悩
  8. 3兄弟の子育て
  9. 子どもが母語を話し始める過程
  10. B.B.カードとの出会い
  11. なぜ英語を学ぶんだろう? 

 

 

 

両親は公務員。

学校の先生でした。

教育熱心であったとは思うけど、

末っ子のわたしにはだいーぶゆるゆるだったと思います。

 

なんでかよくわからないけど、
よく外国人がうちに遊びに来ました。

 

最初は白人の男の人二人組。

いつもスーツに自転車といういで立ち。

モルモン教の布教活動をしている人たちだったらしい。

 

因みに我が家は無宗教

お仏壇はあったけど、神棚はなし。

父に至っては、神社やお寺へ行っても手を合わせません。

ぜ~ったいに。見たことありません。

遠くからわたしたちの写真を撮ってるだけ。

 

もちろんモルモン教なんて興味のない両親が、彼らと親しくしていたのは、

純粋に異文化交流がしたかった、子どもたちにも会わせたかったのだと思います。

次第に彼らは来なくなりました。

本部のお怒りに触れたらしい、

と父が言っていましたよ。

 

幼いわたしにも強烈な記憶を残してくれました。

初めて間近で見た、青い目。

見上げた体。

だっことかされて、はずかし怖かったこと。

一緒に回転すしを食べに行って、めっっちゃ食べてたなーとか。

 

 

小学校高学年くらいのときに、一週間うちに滞在してたのは、

インドネシアから来た留学生の女の人ネンデンさん。

可愛がってもらったなぁ。

 

イスラム教徒で、

断食の時間が終わったらいつも、

水をコップいっぱいクイッといってましたね。

 

野菜スープを作ってくれたんだけど、

当時手に入らないお国の調味料があったらしくて、

普通のコンソメスープでした。

 

 

中国からの留学生も一晩いたことがありました。

かくさん、という女の人。

明るい人で、中国語講座みたいなのを開いてくれました。

自分の名前の中国語読みとかを教えてもらって、

「発音いいですね~。」って褒めてもらったっけな。

 

 

こうして思い出してみると、

わたしが異文化理解や多言語に興味をもつのには

十分すぎる理由があったように思います。

 

 

 

両親よ、

むかし蒔いた種は、たしかに芽を出しているよ。

そして今では、

お友だちと一緒に週に一回、わたしのレッスンを受けているだなんて!

 

あんたたちも好きだねぇ。。。