こんにちは、高橋歓菜です。
岡山の片田舎で生まれ育った、
純ニッポン人のわたしが、
なにがどうなって英語を話すようになって、
どうしてこんなにも一生懸命、
かつ幸せに、英語を教えているのか、
まずはしばらく、
お話にお付き合いいただけたら、と思います。
目次
- ルーツは妄想
- わたしの心をつかんで離さない言葉
- 異文化交流の楽しさを教えてくれたのは
- 新体操選手だったころ
- カナダでのわたし
- 新米講師のうぬぼれと葛藤
- 大手英語教室での苦悩
- 3兄弟の子育て
- 子どもが母語を話し始める過程
- B.B.カードとの出会い
- なぜ英語を学ぶんだろう?
カナダで就職する気満々だったわたし。
でも、職を紹介してくれた友だちが、その会社の会長からの薬物犯罪の被害者に。
何よりも、友だちのために何もできない
無力な自分を恥じました。
結局、人生最大に蓄えた脂肪とともに帰国。
(これもあるある!)
ついに、子ども英語講師の道を選びます。
大手全国チェーンの教室の先生になりました。
張り切りました。
仕事が始まったら、みるみる自然と体重が落ちていきました。(単に太りすぎだっただけ)
「大きな声」「笑顔」「褒め」
これがいちばん大切な3大要素と習い、
それなら得意!と実践し、
ハツラツと動き回って、テンポよく、キラキラとレッスンしていました。
特に小さい子たちのレッスンは評判がよく、
新規入会者もたくさん獲得しました。
「わたしほど楽しいレッスンをする講師はいない」
半分本気でそんな風に思っていました。
教室に来るのが大好きで、英語もたくさん覚えて、可愛らしく踊って歌って、
あ~この子たちの未来は明るいな~
なんて思っていた、んですが・・・
ふとみると、
なんだか全然つまらなさそうにしている子たちがいます。
小学校高学年から中学生。
目を輝かせて、英語を学ぼうとしている子がほとんどいない。
聞けば彼らも、数年前はあの子たちみたいに
英語大好きな幼児だったらしく。
他の興味がでてきたり、レッスンの内容が難しくなったりで、すっかりモチベーションが落ちてしまっているようでした。
友だちがおるから来るし、ゲームはやってもええけど、それもだりぃ。
宿題なんかぜってーやらん。
ってなスタンスです。
そして恐ろしきは・・・
小さいころ覚えていた英語、みんな忘れている!
ってこと。
え、
ちょっと待って、、、
今、やってること、
何も残らないの!?
「なんか、楽しかった」
だけになるの??
保護者が払っている月謝は「楽しいだけ」に払うには高すぎる!
「楽しい」だけじゃなく、
「長期記憶に定着」し、
英語へのモチベーションを当たり前に保ちづらい子どもたちが
「難なく続けられる」
そんな方法がありはしないかと、
悩みもがく日々が始まりました。